こしきの…今日 ✽島の歴史にふれる✽
- koshikino-yado
- 2019年1月20日
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里の史跡に『隠山(隠れ念仏跡)』があります。
この史跡は、本土を出港した定期船が里港に入港準備をする頃に港の左側に見えてくる山の稜線にある史跡です。

江戸時代の混乱期、農民一揆と共に一向一揆が各地で多発したことで一向宗(浄土真宗)を厳しく取り締まり、薩摩藩も甑島に役人を派遣して浄土真宗の信仰を禁じ取り締まりを強化した歴史があります。

里の一向宗門徒たちは、集落から離れた山腹の苔むした石垣とうっ蒼と樹木に囲まれた場所に仏像や経文を隠して、密かに拝んでいた場所が「隠山」です。

この場所からは、木々の間からは対岸の本土が見え、取り締まりに来る役人の船が来るのを発見すると集落に下りて普段の生活を装い、取り締まりから逃れていたと言い伝えられています。しかしながら慶応二年(1866年)藩吏山田静治有秀が検吏として派遣され、強硬な追及が行われて、仏像や経典が異国船改めの役所であった津口番所前で焼き払われた「隠れ念仏」の歴史が残る島です。
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《こしき旅フリーチョイス》
冬の甑島、ふれあいの旅お待ちしております。